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 論説 No.16 アフガン情勢  (兵用地誌)

                                               平成13年11月 1日作成
                                               平成14年7月8日、第15回更新

1.概論

 1) アフガニスタンおよび周辺国地誌      

         

         ディエゴガルシア島(環礁)(赤道以南) アフガニスタンまで直線距離で4.200〜4.500km)

                             

 

 2) アフガンおよび周辺国の概要

  パキスタン・イスラム共和国

   面積:79万6095平方km(日本の2.1倍)

   人口:1臆3058万人

   首都:イスラマバード

   主用言語:ウルドウ語、英語

  インダス川流域にひらけた古代文明の国、経済基盤は農業、軍事費が経済を圧迫。

  パキスタンはアフガニスタンに自国寄りの政権が存在することがインドとの長期にわたるカシミール紛争の背後を固めるため絶対不可欠である。かねてからタリバン(後述)を支援してきた。またパイプラインの敷設問題(後述)も自国に有利に進めることができる。対ソ戦当時は多くのアフガンゲリラ戦士を自国の訓練所で養成したという親近感もあり、タリバンに対する心情は複雑である。
  昨年、クーデータで政権を獲得したムシャラフ大統領は国内(特に、アフガニスタン国境よりに)に多くの親タリバン勢力を抱え、苦渋の判断で米国支援を決定した。 ジャコババード空軍基地、パニス軍港、パニス空港、ダルバディン空港等の米軍使用を認め、また地上部隊の展開の支援を約した。 しかし、国内の反米運動は日増しに活発化している。 大統領はその鎮静化のためにもイスラム教徒のラマダン(断食月)が始まる11月中旬以降の攻撃についてその抑制を求めている。

  
  アフガニスタン・イスラム共和国

   面積:65万2225平方km(日本の約1.7倍)

   首都:カブール(100万人都市、1998年) 現在は激減。

   人口: 1880万人(1998年)   

   人種構成: 18世紀にカンダハルを中心にアフガニスタンを建設したパシュトウン人が38%
           タジク人が25%、モンゴル系のハザラ人がが19%、トルコ系のウズベグ人が6%である
   
   主用言語:バシュトウ語、ダリー語

  多数民族のパシュトウン人の伝統的な性格は、その習慣法「バシュトウン・ワリー」に基づき、武勇を尊び、復讐、 異人款待、部族の 結束などが挙げられる。しかしアハメド・ラシット(パキスタンのジャーナリストの話題の著作「タリバン」によれば、「勇敢で堂々として名誉を重んじ、寛大で客に親切、優雅でハンサムのアフガン人は、屈折した卑しい、残忍な心の持ち主でもある」と、即ち、「献身とねたみの同居」を指摘している。
 
 アフガニスタンは国土の大部分がヒンドークシ山脈の高原と半砂漠、 気候は酷暑、極寒である。
 東西文明の十字路、 1919年に独立。1973年クーデータで王制から共和制に移行。1979年、ソ連侵攻、1989年、ソ連撤退。
 
 1992年、ナジブラ政権の崩壊後、モハンマド・オマル師(1960年頃の生まれ)はパキスタン神学校の生徒、元ゲリラ兵を主体に1994年、イスラム神学生の超原理主義の武装グループ、タリバン(後述)を組織、1996年、信仰者の指導者を意味する「アミール・ウル・モミンイーン」の称号を得て絶対権力を入手、アフガニスタンを実行支配するタリバン政権を樹立した。以降長年、反対勢力(北部同盟)(後述)との内戦状態が20年以上にわたって続いている。
  
 今回の同時多発テロに基づく米国の攻撃に対し、10月9日、タリバン政権は聖職者会議の決定によりアメリカとイギリスに対するジハード(聖戦)をファトワ(宗教布告)として宣告、タリバンは正式に対米英戦争に入った。
 このタリバンの最高指導者、モハマンド・オマル師は1980年代にオサマ・ビンラディンと知り合い、親交を深め、ビン・ラディンの財力の支援と引き換えにアフガニスタンにおけるビン・ラディンの地位を確固たるものにした。モハマンド・オマル師は対ソ戦で片目を失っている。
 
 アフガニスタンを実効支配するタリバン政権はその組成の過程からして国際的に認知されず、国連への代表権は依然として北部同盟が保有している。タリバン政権をアフガニスタンの正統な政権として認知したのはパキスタン、サウジアラビアとアラブ首長国連邦の三カ国のみであった。 

 アフガニスタンの主用産業は農業であるが、この20年間にわたる内戦、3年に及ぶ旱魃、さらに数度の大地震で国土が荒廃し、それに加えて5年間におよぶタリバン政権の残忍で抑圧的な統制下で苦しみ、人口の半数以上が栄養失調に陥り、数百万人が飢餓の危機にあり、迫り来る厳冬期前に処置しなければ多数の(約30万人と見られる)餓死者がでると予測される。 これらの難民への人道支援の食料援助は世界食料計画(WFP)が陸上輸送し、非政府機関が現地で配布している。 この全援助総額の2/3は米国が支払い、過去20年間で現在まで米国は約230億円相当の食料、健康、給水、衛生、避難所等の支援を実施している。 
 
 内戦の最大期には約600万人の難民が輩出(国内難民を含め)し、そのうち約200万人がパキスタンに、150万人がイランを主に周辺国に逃れた、10月7日に開始された米英軍の爆撃により、11月1日現在で約10万人の難民がパキスタンを目指して逃れ、の難民の数は日々増加している。
 

 アフガニスタの地形の一つの特徴は、融雪水の地下水路(カレーズ)が山麓をねって地下4〜8メートルに複雑に錯綜し、その中に潜んだ
ゲリラの発見、掃討は極めて困難である。さらに、対ソ戦に続く内戦の間に敷設された地雷は約一千万個と言われ、敷設図も散逸し、毎年数百人が触雷している。特殊地上部隊の活動に支障を与える恐れがある。 また山岳地帯にはかっての対ソ戦当時に構築した頑強な洞窟が無数に存在している(主にカブール東方およびカンダハル東北部一帯に多く、その構造、規模は、例えば、硫黄島で日本軍が構築した即席の洞窟陣地(後述)とはレベルが異なり、対ソ戦で大きな成果を挙げ、以後もその増強、補強を続けてきた)。

 

タジキスタン共和国 

   面積:14万3100平方k(日本の約40%)

   人口:610万人(1998年)

   首都:ドウシャンペ

   主用言語:タジク語、ロシア語

  国土の殆どが標高4000mを越えるパミール高原につらなる。1991年に独立。主用産業は農業と牧畜。政府とイスラ ム系反政府勢力との内戦が続き、経済は混乱している。1998年、「国連タジキスタン監視団」(PKO)の車が襲われ、日本から派遣中の秋野豊氏が亡くなった。
 タギシスタンは国内にタリバンと関係のあるイスラム過激派の反体制組織を抱え、タリバンが優勢になるのは脅威である。 またアフガニスタンからの阿片の密輸の問題にも悩まされている。北部同盟を支援している。
 クリャプ空軍基地、ドシャンペ空軍基地の米軍使用を認め、また米英特殊地上部隊の支援を約した。

 ウズベギスタン共和国 

   面積:44万7.400平方km(日本の約1.2倍)

   人口:2,405万人(4998年)

   首都:タケシント

   主用言語:ウズベグ語、ロシア語

   1991年独立。シルクロードの中心地として栄えた都市アルマカンドやブラハがある。世界第二の綿花の輸出国。石油も輸出している。

  ウズベギスタンも国内にはタリバンと関係があるイスラム過激派の反体制組織を抱え、タリバンが優勢になるのは脅威である。ウズベギスタンは以前からドスタム将軍のウズベグ人のグループを支援してきたので、北部同盟の支援には国民の感情面で抵抗はない。

  カリモフ大統領は米国の強圧に屈し、10月12日、米国との実質的な軍事同盟を締結し、中央アジア最大の空軍基地であるハナバード空港とテルメス空軍基地、トウゼル空軍基地の米軍使用を認め、また米英特殊地上部隊の展開の支援を約した。  
 ウズベギスタンは対タリバンの最前線基地になった。  

  トルクメニスタン  永世中立国

   面積:48万8.100平方km (日本の約1.3倍)

   人口:486万人

   首都:アシハバード

   主用言語:トルクメン語、ロシア語

 国土の70%が乾燥したカラク-ム砂漠が占めている。1924年、トルクメン・ソビエト社会主義共和国を創設。1991年、国名をトルクメニスタンに変更。1995年、国連で「永世中立国」として認められた。主用産業は綿花を中心とする農業と埋蔵量の多い天然ガスや石油がある。これをパイプラインでアフガニスタンを通してアラビア海沿海に運ぶ壮大なプロジェクトに各国の利権や利害が錯綜している(詳論ンで詳述)。サラブレッドの源流と言われる世界的な名馬「アハルテケ」の原産地。 

 トルクメニスタンは中立国でもあり、パイプライン問題解決のため、アフガニスタンの安定化を望み、タリバンとも反タリバンとも外交関係を維持するチャネルを持っている。
 米英連合軍の軍用機の領空通過を認めた。 

カザフスタン共和国 

  面積:271万7.300平方km(日本の約7倍)

  人口:1,495万人(1999年)

  首都:アスタナ

  主用言語:カザフ語、ロシア語

 国土の90%以上が草原地帯。旧ソ連の核実験の後遺症に苦しむ国(460回以上の核実験)。1991年に独立。ロシアとの経済関係は密接である。主用産業は鉱業と農業。かってはソ連の穀倉地帯と呼ばれた。地下資源に恵まれている。
 米英連合軍の軍用機の領空通過を認めた。

キルギス共和国 
 

  面積:19万8,.500平方km(日本の約半分)

  人口:464万人

  首都:ビシュケク

  主用言語:キルギス語、ロシア語

 国土の中央部に天山山脈につながる標高4.000mを越える山々が連なる。北部にあるイシク湖(琵琶湖の9倍の大きさ)は三蔵法師のゆかりの地である。1991年にキルギスタン共和国として独立。1993年、国名をキルギスに変更。ロシア経済の悪化の影響をもろに被っている。 米英連合軍の軍用機の領空通過を認めた。

 

その他の近隣および関係国のアフガニスタンに対する態度は次の通りである。 

 

 イラン: 従来からシーア派のハザラ人を支援してきたが、過激なタバリンの台頭はシーア派国家のイランにとって危険な存在となって
       いた。阿片の増加や運送マフィヤーによる密輸が国内経済に悪影響を与ており、また国内の反体制派の聖域をアフガニスタ
       ン国内与えている。1998年、内戦に巻き込まれてイランの外交官が殺害され、両国は一触即発の状況にまでなったことがあ
       る。 北部同盟を支援している。
        米英連合軍の軍用機の領空通過を認めた。

 ロシア: ロシアは中央アジア諸国の安全を守り、独立国家集合体(CIS)での指導的立場をとることを願っている。プーチン大統領は
       今回の米国に対する同時多発テロに対して「チェチェン・ゲリラもウサマ・ビンラーディンも同一根源」と決めつけ、早速、
       チェチェン・ゲリラに対する一斎攻勢に入った。 チェチェン人はそもそも北カフカスの山岳民族で、スンニ派イスラム教徒が
       主体、独立志向が強く、再三にわたりロシアに挑戦してきた。
        米英連合軍の軍用機の領空通過を認め、および航空救難支援を約した。さらに中央アジアの基地提供を含む協力策を打
       ち出した。だが、その心底にはアメリカの中東での発言力の増大には重大な危惧を抱いている。     。 

 サウジアラビア: シーア派のイランに対抗するためタバリンを支援していたが、自国民のオサマ・ビンラディン(後述)がサウジ
            王室を侮辱し反体制活動を活発化させたので彼を国外追放し、オサマ・ビンラディンがタリバンと密接な関係にな
            って以来、タバリンとの関わりから手を引き始めた。今回の同時多発テロで、アフガニスタの承認を取消した。
             しかしながら、湾岸戦争の際の前面的な対米協力に対して、今回はアフガン攻撃のための米軍機の基地の使用
            を拒否した。 王室に対する根づよい反感をこれ以上増大させないことに汲々としている。(論説No.19 サウジ                           アラビ ア、揺れる王室、 副題:第二のイランへの道をたどるのかを参照)

 アメリカ: ソ連撤退後はアフガニスタンに対する関心を失った。しかし、反イランを表明しているタリバンをイランの封じ込みに利用で                       きると考え、またパイプライン問題でロシアに権益を渡さないことがアメリカの外交政策であった。 しかしタリバンの人権                        侵害や女性蔑視や迫害が明るみに出るに及んでタリバンに対する態度を急変した。1998年8月のケニア、タンザニアの                        米国大使館同時爆破事件でアメリカの政策は決定的なものになり、同年10月にオサマ・ビンラディンを国際指名手配し 、                       そのアル・カーイダの拠点(後述)に対して十数発の巡航ミサイルを報復のため打ち込んだ(数発の不発弾が生じ、その                         情報に関する各国、特に中国からの引き合いが集まった。

 中国 かねてから米国の一極支配に対抗して多極化を求めてきたが、自国の西域における反政府活動やテロの発生との関連か
       ら基本的には米国の意向には賛同したが、東洋東南アジアにおける覇権の確立と共に、中近東においても発言力を高める
       ため、米国の独走を許さづ、かねてからの中国の戦略「国連重視」を強調している。 中国の江沢民主席はアフガニスタンと
       国境を接するシンキョウ・ウイグル自治区の反政府運動の長年にわたる弾圧(特に、極端な人権侵害)に対する米国の消極
       的な容認を計算にいれて米国の方針を基本的に容認したもので、早速、イスラム国家樹立を目指すウイグル族などによる分
       離独立運動を、本来ならば少数民族の民族自決の問題を、国際的な反テロの機運に便乗して「国際テロの一部」として位置
       ずけ、「東トルキスタン」独立を目指す武装組織「東トルキスタン独立運動」を「国際テロ組織」に認定し、独立運動家の処刑を
       始めた。これが中国の本音であろう。 
        10月21日、議長国、中国の上海で開催されたアジア太平洋経済協力会儀(APEC)で、同会議が1989年開設以来、始めて
   
    ここで注意しなければならないことは、かねてからアメリカの一極支配に異議を唱えてきたロシアと中国がアメリカの施策に基本
  的に同意したことで、その本旨は、ロシアにおけるチェチェン紛争、中国におけるシンキョウ・ウイグル自治区の分離独立

  めぐる運動を国際的な反テロ機運を利用して一気に鎮圧しようというもくろみがあるからである。アメリカのブッシュ大統領は10月の
  OPEC会議に先立つ江沢民との会談で「少数民族の自決を求める運動の弾圧は正統化しない」と牽制したが、この問題は
  尾を引くことになろう。

 


2. 詳論

 その1 アフガニスタンの地理、民族、歴史の概要
  


1).国家の形成
 

 アフガニスタンにはパキスタンとの国境付近を主に居住する最多数民族のパシュトウン人 (ソ連の侵攻時には全体の50%であったが現在は約35%)に減少)、北部の国境近くの ウズベク人およびタジク人、および主に中部地帯に居住するバサラ人(シーア派に属し、モンゴルの千人部隊-バサラ-の末裔とされ、日本人に一番似ている) を主とする多民族国家で、1950年代後半に王制の立憲君主国を樹立、1973年まで王制君主国であった。そして各民族は適当に住み分け、それぞれ居住する近隣国が彼らにとっての本拠地である。1971年には日本から天皇、皇后両陛下がアフガニスタを訪問され(皇太子の時)、バーミャンの石仏も見学された。

2)経緯
 
 18世紀の後半、北からは不凍港を求めるロシア、南からは英領インドの防備のためロシアの南下を防ぐイギリスが触手を伸ばし、ロシアとイギリスは相互に譲らず、「グレート・ゲーム」と言われた。 アフガニスタンはこれら双方の国に翻弄されながらも独立に至る。

  第二次世界大戦終結後、イギリスが手を引いた後にロシアが進出し、共産党を創立、共産勢力が力を増したが、同時に反ソ感情が高まり、抵抗運動が激化し、ソ連は「反体制運動によアフガニスタンの治安が悪化した、これを回復する」という名目で1979年2月、武力侵攻した。約10年の戦乱の後、ソ連は少なからない犠牲と兵員の士気の低下を考慮し、主として自国の崩壊する経済事情で1989年に撤退した。
 この間、アメリカは武器の供与、ゲリラ戦法の訓練を行ない、パキスタンは訓練施設を提供、サウジアラビアは資金援助を行なってアフガニスタンを助けた。パキスタンはさらに「イスラムの危機」を世界に知らせ、聖戦(ジハード)を呼びかけた。 この対ソ戦のゲリラに対する武器、弾薬の供与の一つのルートは中国から多数のラバ(驢馬の一種)を用いてパミール高原を越えて行なわれたことが知られている。
 アフガニスタンはこの戦いを勝利とみなし、この闘いに参じた者をムジャビディン(聖戦士)と呼んだ。イスラム原理主義者で「アラブ・アフガン」と呼ばれる者はこの対ソ線に各国から義勇軍として従軍した者達で、戦後はそれぞれ帰国して、それぞれの国で反政府活動を展開している。
 1990年、ソ連が瓦解し、ロシア経済が崩壊、もはやロシアの南進の野望なしとみたアメリカはアフガニスタンに対する従来の関与を放擲し、トルクメニスタンの石油輸送のパイプラインに関する利権を除き、関心さえ薄れてしまった。いまやそのつけがまっわてきたのである。 

 

3).国内政治事情(政変)

 1973年7月、国王ザヒル・シャー(パシュトウン人)が眼の治療のためイタリアに滞在中、王の甥のダウド将軍(元アフガン首相)がクーデータを起こし、共和制に移行した。このクーデータはロシアの支援によるもので、新政権および官僚の大半は共産党員であった。 

 かっての王制下ではアフガニスタは除々に近代化されていた。例えば、女学校を開設し、カブール大学を創設し、女性の黒ベールを脱ぐよう奨励し、官僚には洋装を強制したのであった。
共和国の大統領に就任したタウドは国内の全ての政治グループを禁止し、弾圧した。 多くの反政府活動家が隣国パキスタンのペシャルワに逃れ、そこを拠点として活動を続けた。これら反対勢力は次の通りである。

 ・イスラム協会(タジク人、ラバに大統領、マスード司令官) 
 ・イスラム党(パシュトウン人)
 ・アフガニスタン」・イスラム革命運動(ウズベク人)
 ・アフガニスタン国民救国戦線
 ・アフガニスタン・イスラム国民戦線
 ・イスラム党ハリス派(シーア派、バラサ人)
 ・アフガニスタン開放イスラム連合
 ・イスラム国民党(のちのイスラム統一党)
 ・イスラム国民運動(ドスタム将軍派、ウズベク人)

 これら各派は相互の主導権争いに明け暮れ、権力の座を奪いあった。またアフガニスタン国内でも共産党が流血の内部抗争を起こし、ハルク(人民)派とバルチャム(旗)派に分裂した。

 1978年4月、タウド大統領はハルク派のクーデーターで暗殺され、ハルク派のリーダー、タラキが大統領になったがこれまた暗殺され、
その後継者のアミンも暗殺され、カルマルが大統領に就任した。これらのことが20ケ月内に起こった。そしてソ連撤退の二年後にアフガン
共産党は崩壊し、反ソ抵抗運動の指導者が連合して政権を発足し、ムジャビディン(聖戦士)の政権が誕生した。初代の大統領はイスラム
党のリーダー、グルプディン・ヘクマティアル、国防相はマスード司令官(後日、解任された)であった。

 しかし内部抗争が絶えず、カブールを中心に激しい闘争が続き、この内戦は20年にわたって続いた。 その理由の一つに中央アジアの
石油と天然ガスのパイプ・ラインの建設計画 (トルクメニスタンからアフガニスタンを通してアラビア海に至る)があり、パキスタン、サウジ
アラビア、アメリカ、ロシア、アルゼンチン、イラン、トルクメニスタンの各国の権益がからみ、さらに民間企業、サウジアラビア石油会社
(デルタ、ニンカルチョ)、アメリカ石油会社(ユノカル、アモコ)、アルゼンチンのブリタス、日本の伊藤忠、韓国の大宇等が加わり、国際
政治の駆け引きの場となっていた。「第二のグレート・ゲーム」 と呼ばれる。 そして、それぞれの国が自国に有利な派やグループを
後援してきた。

 長びく内戦のため約400〜600万人の難民が排出し、また飢饉、大地震の追い討ちが加わり、国内には瓦礫と飢餓が残り、それ
に嫌気をさした民衆の中から踊り出たのが南部のカンダハルのイスラム指導者、ムラー・ムハンマド・オマルで、最初は30名の部下と16丁
の自動小銃でカンダハル周辺で山賊まがいの行為を働き、無法の通行税などを強奪するムジャビデン一派を攻撃した。当時、これらムジ
ャビデーンはかっての「聖戦士」の面影はなく略奪や暴行を働いていた。 これがタリバンの始まりである。
 
 ムフマンド・オマルは1996年4月、60年間にわたり聖地に保管されていた予言者ムハンマドの聖なる外套を羽織って群集の現れ、イスラ
ムの指導者として熱狂を受けた。これはイスラムを冒涜する行為として識者の反感を買った。

  タバリンとはイスラム神学生(タリブ)の複数形で、バシュトウン人で構成、要員の大半はマサドラ(イスラム学校)の生徒達であった。このタバリンは5年間でアフガン全土を収め、一応の平和(戦乱のない状態)を招いたが、その教義はイスラムの経典(コーラン)、シャリーア(イスラム法)を過激に解釈し、超原理主義にはしり、一般民衆を強圧体制下に置き、厳しい管理・統制を加えた。

4)タリバン
 

 タリバンは僅か5年間で各地のムジャビディン(聖戦士)の勢力を倒し、ほぼ全土を手中に収めた。その唯一の抵抗勢力はアフガニスタンの英雄「バンジールの獅子」と呼ばれるスマード司令官(タジク人)であった(今年9月、刺客の爆発テロでに暗殺された)。彼の下、多くの反政府グループが利害を越えて「反サリバン」の旗印で結集し、今や全土の約10%を攻略するまでになった。 この北部同盟の本拠地はパンジシール渓谷、大統領はラバニである。

 タリバンの正式名称は「イスラム神学生による改革運動」で、タリバンは「神学生たち」を意味する。超原理主義を標榜し、イスラム教の 本義から逸脱した教義を掲げ、例えば、女性の存在を軽んじ極端な制約を課し、歌舞音楽および遊興、スポーツを禁止し(凧上げまで)、 他民族の文化を認めず、また犯罪者の処刑は羊を屠殺する方法(刀で頚動脈を切る)を行う等、狂信的運動を展開し、部落社会独特の掟、 パストウン・ワリを強要、冷酷無情の風潮を蔓延させ、必ずしも国民の心情を繋ぎとめているわけではない。 本年3月のバーミャンの石仏 破壊は記憶に新しい。

 タバリンはこのように歪曲した独自のイスラムの掟をカ国内の諸民族に強制したため次第にバシュトウン人に対して反バシュトウン人 の気持ちが離反し、善良な一般市民はムジャビデン同士の内戦の時のほうがまだしも「自由」があったと感じている。 タバリンは劣勢 化したバシュトウン人のかっての隆盛を取り戻そうとしているのだろう。

 さらには兵器購入資金調達のためカンダハル西地区の広大な丘陵の不整地を利用した阿片の原料の芥子の栽培を拡大、増産し、 世界有数の阿片を産出し、マフィヤーの輸送ルートで世界中にばら撒いている。
 最初の頃はアフガニスタンを統一したタリバンを評価していた列国の反応も次第に硬化していた。女性の蔑視、虐待について米国 の婦人団体から強い抗議が出され、また阿片の拡散に対する各国の警戒心も年々高まっている。 

5) ウサマ・ビンラディン

  サウジアラビアの建設会社社長の子として生まれ、大学では経営学とイスラム神学を学ぶ。1980年、アフガン戦争にイスラム 義勇兵として参戦。主として後方業務(医療センター、軍事施設、武器庫等の建設)に従事。

  1993年、アメリカの世界貿易センタービル爆破事件の首謀者、エジプトのイスラム過激派「イスラム団」のリーダー、アブデル・  ラーマン(現在服役中)と出会い彼を師と仰いだ。 1991年の湾岸戦争でサウジ王室の政策(米軍の駐留を認め、イラク攻撃を支援 する)に反発し王室を公然と批判し、1992年、国外追放処分となった。

 1994年、スーダンでカリマス的イスラム指導者、ハッサン・トウラビと出会い行動を共にした。1996年、スーダン政府の要請で スーダンを退去(事実上追放処分)し、再度アフガニスタンに戻った。そこでパキスタンの仲介でタリバンと出会い、豊富な資金を援助すると共に、 タリバンに反米思想を植え付けた。

 1998年2月、タリバンはウサマ・ビンラディンの主導で「ユダヤ人と十字軍に対する聖戦のための国際イスラム戦線」を結成、「アメリカ人とその同盟者を殺せ。これはムスリム一人一人に与えられた義務である」との宗教命令「ファトウ」を発令した。 事後、各地で大規模テロが発生しはじめた。 

 ウサマ・ビンラディンは1988年、自ら率いる国際テロ・ネットワーク「アル・カーイイダ」(イスラム過激派テロ組織、アラビア語で「基地」を意味する)を組織した。 世界60ケ国に3000〜5000人のメンバーが一般市民を装い就業、生活し、ウサマ・ビンラディンからのテロ発動指令を待っている。 
 

 
ビン・ラディンは 「神が与え給うものならば、A,B,C兵器(アトム、バイオ、ケミカル)を使うことも躊躇しない。インシャッラー(神の御意志であるならば」と公言している。

 主なテロ事件は、1997年エジプト南部のルクソール神殿遺跡前での観光客殺害事件(日本人10を含む62人を殺害)、日本人 鉱山技師拉致事件(キルギス、ウズベク)等のほか、1996年、ダーランの米軍施設に対するテロ事件、1998年、ケイヤとタンザ ニアの米国大使館同時爆破事件、2000、イエメンで起こった米国駆逐艦爆破事件、1993年、アメリカの世界貿易センター・ビル 爆破事件、そして今回の9月11の同時多発テロ事件(アメリカ)につながる。                                                                                        

 

 3.  Days After The Day (あの衝撃的事件後の新たな時代) 

 

対テロ戦争宣言 

  ブッシュ大統領は9月11日の「同時多発テロ事件」を米国を始めとする先進自由諸国に対する戦争行為と断定。それに対する軍事行動を「不屈の自由作戦」(Enduring Freedom作戦)と呼称することに決定。 (当初は「無限の正義作戦」と報じられたが、イスラム諸国の反発を配慮して最終的に変更された。           

 1) 状況判断見積資料

  タバリン軍

  地上軍:約4万5000人(強制徴兵で増大中)、(パキスタンの正規軍から移籍した兵士が約1万人程いる)

  航空機:ソ連の旧式スホイ戦闘機数十機(容易に破壊可能)、ヘリコプター:約30機(破壊容易)

  装甲車:約650両

  多連装ロケット弾発射装置 不明

  火砲: 不明

  地対地ミサイル: 不明

  地対空ミサイル:不明(固定分は破壊容易)
  
  携帯用赤外線誘導式対空ミサイル(スティンガー) 射程3.5km、低空のヘリ攻撃に支障を与える恐れ
   1986年4月24日、米国、反政府および対ソ戦に従事するアフガン・ムジャヒデン・イスラム同盟に200基を供与。
  
   1989年2月9日、米国、150基を追加給与。同年10月15日からソ連侵攻軍が撤退を開始したので、100基前後が温存されているものと考えられる。

  携帯用ロケット砲(RPG7):多数(10cmの鋼板、30cmのコンクリートを撃ちぬく。先端部の円錐状の空洞部分にガソリン、その他化学物質を入れることがで   きる。
  
  
地雷:1千万個、特殊部隊の作戦に支障を与える


 北部同盟(アフガニスタン救国イスラム統一戦線)
   
 「アフガニスタン救国イスラム統一戦線」(UIFSA)で、ラバニ大統領やマスード司令官を指導者とするタジク人中心 の「イスラム協会」、 ウズベグ人中心のドスタム将軍派「アフガニスタン・イスラム運動」、ハザラ人中心の親イラン のシーア派組織「イスラム統一党」の反タリバンの三つの勢力が連合して1997年6月に「アフガニスタン北部同盟」を結成した。兵力は約一万二千人、ロシア、中央アジア、イラン、インドの支援を受けてきた。 マスード司令官のテロによる暗殺後、ファフィーム司令官が後任に就任した。 各部族勢力間には不和や多くの利害の問題があるが、反タリバンの一点で一応結集している。
  
 しかし、この北部同盟の各派の緒勢力はかってナジブラ政権を倒した後に各派のアフガン分割統治で壮絶な戦闘を繰返し、特に、パキスタンと独自のつながりを持つ過激なグルプディン・ヘクマティアル首相ブルハムディン・ラバニ大統領はもともと不仲で、また新政権でなんらのホストも与えられず、それに憤慨して勝手に北部六州を占拠し、マザリシャリフを本拠地としたドスタム将軍(元ウズベグ系のソビエト人)もかってラバニに反旗を翻して謀反を起こしたことのあるいわく付きの人物である。近い将来、タリバンが崩壊した後、またかっての分割統治を巡る内部抗争が激化することになろう。
 このほか、イスラム協会とイスラム党の不和、ムジャビデン勢力と旧政権の軍人との不和、スニン派とシーア派の不和、等々、内部紛争、相克の種は無数にある。
 これを助長してきたのが近隣諸国の思惑であった
  パキスタンはヘクマティアル、インドはラバニ、マスード(暗殺)、ウズベキスタンはドスタム、サウジアラビアはヘクマティアル、サヤフ、そしてイランはマザリー 派、アクバリー派に肩入れしている。
 
連立がうまく行く訳はなかった。そして各派の陣取り合戦の内戦の間、かっての対ソ線の聖戦士(ムジャビデン)達も一部は夜盗と化し、無法の通行税を徴発するなど堕落し、民心が離反しし、そしてそれがタリバンの台頭を招いたのである。
 

 米英連合軍の軍事行動
  
1. 作戦準備段階
 

 1) アフガニスタン包囲網の構築、各国の支援要請(40ケ国以上が軍用機の領空通過や基地、空港および空港の使用を認めた)。 

 2) 広域の作戦地域(コンバット・ゾーン)の設定

    ・関係空域および海域における船舶の運行および航空機の航行統制および規制を保留

    ・軍事航法衛星(GPSナブスター)(高軌道に25基運用中)の民間チャネルの利用規制措置(精度低下を含む)

 3) 予備役の招集

 4) 軍事衛星の配備

現在、主としてイラクを対象とする軍事衛星の軌道修正等、および新型軍事衛星の打上げ、配備

・楕円軌道を周回するデータ通信衛星 SDSの軌道修正
・低軌道を周回する写真偵察衛星(KH‐11)(解像度15cm) の軌道を修正
 
2001年9月、対アフガン作戦のため解像度10cmの新型写真偵察衛星KH−11(改)を打上げた

・低軌道を周回する電子情報偵察衛星の軌道を修正
・低軌道を周回するレーダー偵察衛星の軌道修正
・静止軌道上の通信盗聴衛星のポイントの修正  
静止軌道上のミサイル早期警戒衛星(DSP)のポイントを修正 
・低軌道を周回する軍事気象衛星(DMSP)の軌道修正
データー中継衛星(静止軌道)TDRSSのチャンネル切り変え
航法衛星(高軌道)ナブスター(GPS)の一基増強(合計26基運用中)
・新型写真偵察衛星(解像度10cm、赤外線センサー搭載)(KH‐11改)を低軌道に打上げ、配備(9月)

・上記に関連する新型データ通信衛星を楕円軌道打上げ、配備(9月)
民間衛星撮影の写真画像データの頒布防止(買占め)を図る     

  5) 作戦部隊の配備 

  A. 空母を主力とする艦艇の配置

  4個空母戦闘群

   既にアラビア海に展開中の・カールビンソンおよび ・エンタープライズに加えて

  ・セオドラ・ルーズベルト(バージニア州ノーフォーク基地から)

  ・キテイホーク(横須賀基地から)、随伴鑑はミサイル駆逐艦、カーチス・ウイルバー、ミサイル・フリゲート鑑、 ゲアリー、駆逐艦、クッシング、         給油鑑、ラパハハック、佐世保基地からの強襲揚陸鑑、エセックスを含む。 強襲揚陸艦フォートマクヘンリーは待機、11月中旬増派)。

 B. 航空機 約450機、各種ヘリコプター約100機、および無人偵察機RQ-17 Predatorレ(プロペラ機)若干

                      

  注:RQ-17は長さ8.5m、幅14.6m、時速140kn、約30時間連続飛行可能、レーザ誘導対戦車ミサイルHellfire 2基を搭載、写真偵察映像をリアル・タイム          で後方に伝送し、指令により行動する。  

   C. 特殊地上作戦部隊を含む兵員29000人      

 2.. 軍事行動、作戦開始 

  1) 第一段階 巡航ミサイルおよび高空からの爆撃、 10月7日開始

     爆撃機B52B1Bはインド洋上の英領ディエゴガルシア島(赤道以南)、B2は米本土から。

     F‐14,F-18戦闘攻撃機、GR1戦闘攻撃機EA6B電子戦機(プラウラー)は空母から。

     F-15、F-16戦闘爆撃機はクエートのアルジャビル米空軍基地から。

     シー・ハリヤ戦闘攻撃機は英国の軽空母から。(通常、軽空母に16機を搭載)

                        

    ・F-117Aステルス戦闘攻撃機は空母「から
                       レーダー反射を少なくした機体構造、低高度、高速で侵入する。
                        
        

 開戦初動における偶発的事件(米国情報機関ニュースから) 
 
 戦争の最初の晩に起きた一つの事件は、湾岸戦争終結後の過去10年間に軍事組織の改革、国防予算の節減や定員の削減等を含め、米国政府が制約してきたと信じられていた軍の戦争遂行能力が依然として高いレベルに維持されていることを如実に表す象徴的な偶発事件であった。そしてそれが意気消沈していた軍およびアメリカ市民の士気を大きく高めることになった。
 
 その事件とは、その晩、一機の無人Predator偵察機がC.I.A.の管制下でカブールに通じる道路を捜索していた。このPredatorは一機4000万ドルの無人偵察機で、時速80マイルのような低速で巡航することができ、撮像用レーダー、赤外線およびテレビジョン・カメラのアレイを装備し、世界中の地上局に高い解像度の映像を送ることができる。この航空機は対戦車兵器として設計された二基のHellifireミサイルを搭載している。このPredatorがその晩、タリバンの指導者Mullah Omar師を運ぶ輸送隊として首都カブールから移動する乗用車とトラックの群を識別した。あらかじめ決められた協定の下、C.I.Aはミサイル発射のボタンを押す権限を持っていない。さらに多くの作戦計画を立案するBahrainにある米海軍第五艦隊の命令および統制室でも同様で、このボタンを押す決定はフロリダ州のMacDill航空基地にある米国中央軍コマンド(CENTCOM)の司令部の担当官によりなされなければならないことになっている。

 Predatorは百名以上の警護員と兵士を伴ったオマル師が隠れた建物までこの輸送隊を追跡した。この事件の詳細な経緯はこれ以上述べられないが、情報将校の言によれば戦闘爆撃機による大規模な急襲のため直ちに要求が行なわれた。しかし、その時点で、CENTCOM司令官のTommy R. Franks大将から"JAG、即ち、Judge Advocate General-法務官の進言により戦闘爆撃機による大規模急襲は行なわず、代わりに、当該建物の入口のドアを吹き飛ばすため建物の前面にミサイルを発射することをPredatorに許可する。そして誰が出てきたか、その写真を撮るよう”指示がだされた。そして”引き続きオマル師を追跡するよう”命令された。
 しかしHellfireミサイルは軍隊用語において、建物の前面のドアの部位に標的マークを定めることができず、仮に実行したととしても爆破の粉塵のため詳細な撮影ができないので、オマル師とその随行員を運んだと推定される建物の前方に駐車中の乗用者の群にミサイルを発射した。ミサイルは命中し、乗用車は完全に破壊されたが、誰も出てこなかった。
 
 後日、当該場所での地上作戦行動から分ったことは、オマル師とその警護員は確かにその輸送隊の中にいて、当時、北部同盟の部隊が周辺に展開し、その一部の部隊からロケット推進式手榴弾の射撃を受けたので、建物の中にいた多くの兵士が外に出て敵を探していた。結局、敵が見当たらないので、オマル師の輸送隊は出発し、その直後にF-18戦闘攻撃機によりその建物は破壊されたことが判明した。オマル師は九死を脱したのである。

 即時攻撃できなかったこの事件はあとあと尾を引くことになる。(本論の最終項、「閑話休題」参照)
  


2) 第二段階 戦場(バトル・フィールド)の設定  10月中旬開始  

   
   
低空からの攻撃(制空権掌握後)
    

   ・戦車撃破機 A-10”ウォートホグ”(タンク・キラー)は近隣の基地から

                       
    
   ・、MH53J
武装ヘリコプター(アパッチ)  パキスタンおよびウズベキスタン基地から

                              

  ・AC-130U地上攻撃機(ガン・シップ) パキスタンおよびウズベキスタン基地から

:AC-130U4発のプロペラ式輸送機C-130を改修し、ペイロード分に釣り合う装甲を施し、口径105ミリ榴弾砲、口径40ミリ・ボフォース砲、25ミリ・ガトリング6砲身機関砲など装備し、低速、近距離から多量の集中砲火を浴びせる。 (ベトナム戦争でAC-130Aが本格的に登場、大きな成果を挙げたが、被害もあった) AC-130U型機は上翼構造のプロペラ機で、不整地での離発着可能な強襲機(アサゥルト・プレーン)である。 論説No.17に詳細記述 参照

                          

 
 C-130を空中給油機に改装した海兵隊のKC-130が平成14年1月9日、パキスタン南西部のシャムシの米軍前方基地に着陸態勢に入っていた時に付近の山岳地に墜落した。乗員の海兵隊員7名(女性隊員1名を含む)全員が死亡した。墜落原因は不明。地上からの攻撃はなかった模様。


 3) 地上特殊部隊によるテロ首謀者の捜索活動を本格的に開始、逮捕、または殺害 
     


  ・米国 陸軍グリーンベレー(沖縄トリイ基地から)、北部同盟と連携。レンジャー部隊(山岳戦、伏兵、奇襲、捕虜奪還)。海軍SEAL(沿岸、河川での偵    察、特殊作戦)、デルタフォース(テロ対策特殊部隊),陸軍第101空挺師団

  ・米特殊部隊の増員投入決定 11月1日
  ・11月15日、海兵隊1600人を二隻の強襲揚陸鑑(エセックスおよびフォートマクヘリン)でパキスタン沖合いのアラビア海上に待機させた(ウサマ・ビンラデ   ィンおよびアルカイーダ幹部の捕捉作戦を強化)。
   
 ・英国 海兵隊急襲部隊200を含む4200を既に派遣し、特殊空挺部隊SAS(Special Air Sarvice)を増派    

    SASはヘリホードを本拠として、北アイルランド紛争において極秘活動に従事していたが1980年のイラン 大使館人質事件で活躍し、人質救出作戦       のプロとしてその名を世界に知られるようになった。世界最強 の対テロ特殊部隊、モットーは 「IMMEDIATE ACTION」
    
      
 ・トルコ 特殊部隊「スカーレット・ベレー」 90名派遣を決定。兵員数はすくないが同国最強の精鋭である。
      特に米国から強い派遣要請があった。

      
 ・チェコスロバキア 特殊化学防護部隊 400名派遣決定、米国の要請による。
                    11月14日、特殊部隊、空中警戒管制機を派遣    
     
 ・フランス 艦艇ニ隻を含め、陸海空 三軍合計2000を派兵(11月2日)、特殊部隊の派遣も準備中
            
   
 ・ドイツ  核、生物兵器対策部隊および急襲部隊を含む4000人規模を派兵(11月6日)
      
 ・イタリア 軽空母「ガリバルディ」、フリゲート鑑ニ隻、攻撃ヘリ、偵察機、対生物、化学兵器特殊部隊を含め、
       三軍合計3000名を派兵 (11月4日)

      
 ・カナダ 
艦艇六隻、特殊部隊を含め3000名を派遣 
11月15日、人道支援のための部隊1000人派遣
     
 オーストラリア 艦艇ニ隻、F/A18戦闘攻撃機四機に加え、11月14日、特殊部隊を含む1.550人を派遣
    
 ・ヨルダン 情報収集のため地上部隊を展開(詳細不明)
 
 
アゼルバイジャン 11月10日、同国の空軍基地の米軍の使用を許可
                
 
 このように各国はそれぞれ自国の最精鋭部隊を派遣している。 
       
 国連安全保障理事会は11月14日はタリバン政権崩壊後のアフガンの治安維持に多国籍軍の派遣を承認


 ・地上作戦支援のため、新型無人偵察機 E-8A/JSTARS(合成開口レーダーにより数百kmの範囲を監視、 36時間飛行活動監視可能)を投入        (11月4日)

 ・地上作戦支援のため新型高々度大型無人偵察機「Global hawk」(時速600kmで32時間の長時間の飛行活動が可能)を投入(11月4日) 。この新型  機は約1万9000mの高高度を飛行。 2001年4月、太平洋横断実用試験を完了。専用チャネルの衛星通信を介して5000km以遠の中枢からの管制を受ける  。 翼幅はボーイング737型とほぼ同じ、V字形の尾翼を 持つ。 レーダ、赤外線カメラ等を装備、高空の監視台である。

                         
 
                            

 平成13年12月30日、アフガニスタ上空の偵察活動を終えてアラブ首長国連邦(UAE)に着陸しようとしたグローバル・ホークが墜落した。事故原因は調査中であるが、データ・リンクの故障に続き、操縦舵が故障して水平スピンに陥るなどの状況にあったという。アフガニスタン作戦では2機運用していた。
                                                  

  ・近接支援のため、パキスタンの基地を増加展開
  既に使用中のジャコババー(戦闘爆撃機等の発進拠点)、パニス(兵站拠点)、ダルバンディン(地上 部隊の出撃拠点)に加えて新たにピシンおよび   バダベル(攻撃ヘリおよび特殊部隊の展開拠点)を追加

  ・日本 テロ対策特別措置法による基本計画決定前に情報収集のため護衛鑑二隻(くらま、5.200屯、きりさめ4.550屯)、補給鑑(はまな、8.100屯)を派遣        (11月9日)、基本計画決定後は別に派遣される本隊に合流する
      日本は八番目の国として連合軍に参加することになった11月16日、基本計画案決定。米軍などへの協力支援活動、米兵らの捜索救助活動      、被災民救援活動の三つの活動を規定 
     
    基本計画の骨子 
    
米軍への補給、輸送を中心に米艦船などの修理、整備、医療、港湾業務を包含
     ・活動範囲はグアム島、オーストラリアからインド洋、ペルシャ湾を含む範囲
     ・輸送鑑二隻(はまな、とわだ、共に8.100屯)、護衛艦三隻、くらま5.200屯、きりさめ(ミニ・イージス鑑、4.550屯)、さわぎり(3.500屯)、洋上などで米軍      への物資を輸送、補給および捜索救助活動
     ・C-130H輸送機 六機 活動範囲内で人員、物資の輸送および捜索救助活動(12月以降))
     ・多用途支援機 二機(指揮・連絡用))
     ・人員:海自1200名  空自180名
     
・掃海母艦(うらが、5.600屯)でパキスタンの被災民に物資(200屯)輸送
     ・パキスタンでの医療支援に向け早期に調査、検討
         
 増派する輸送艦一隻、護衛艦一隻、掃海母艦一隻および輸送機等の出発は20以降なるべく速やかに
11月20日「実施要綱」決定、同日、派遣命令発令    11月25日、艦船三隻出発。 

 補給艦の行なう洋上給油の実態(演習資料から)
                            
 35ノット以上で航行しながら中央の補給鑑から両舷を平行航行するの二隻の護衛艦にロープを投射し、給油パイプをブリッジして接続する。


 4) 地上作戦部隊の展開、要衝の制圧 
(第一次地上作戦行動は厳冬季以前に終了する) 

  ・北部の要衝マザリシャリフの制圧(11月10日、米軍の近接航空支援下の北部同盟の総攻撃により陥落)

                           

 ・ タジキスタンとの国境寄りの北部の要衝、クンドウズ11月12日ドスタム将軍の部隊が奪取、補給路を確保 。北部同盟側はこれによりアフガン北部一    帯を制覇し、ウズベキスタンに集積している兵器や補給物資の陸路による大量の輸送が可能となった。またマザリシャリフ郊外の空港を整備すれば攻    撃機やヘリの発進がより効果的になる。戦局はこれにより大きく進展する。
    
 ・西部の要衝ヘラートの制圧
11月12日)、元ヘラート州知事のイスマイル・カーン司令官(パシュトウン人)の部隊が制圧)首都カブールの制圧     (11月13日)、タリバン軍の撤退により北部同盟軍がカブール市内に進駐、同市を手中に収めた) これによりアフガニスタンを5年間にわたって実行支配し  てきたタリバン政権は事実上崩壊した 
   タリバン軍の主体はは本拠地カンダハルに移動、一部はパキスタンとの国境寄りの拠点ジャララバードの山岳陣地に移動したが、主力はなお山岳地帯  までの安全な移動を条件に地元の反タリバン勢力(パストウン人)と協議中。


                    
  11月13日朝の世界の新聞の冒頭を飾った北部同盟のカブール進駐 (砲塔に歓迎の花輪が飾られている)
                                                    日本人カメラマンの撮影による
                          

   カブール市内にある空港を整備すれば地上攻撃機やヘリの発進がより効果的になる。 洞窟陣地への攻撃が強化され、戦局はさらに進展する。

                           
      
放置されたカブール空港  滑走路表面を徹底的に清掃(FOD)してビスの一つも残さないようにしなければジェット機の離着陸は不可能であるが、C-130 のような高翼プロペラ機の不整地強襲離・発着機(アサゥルト・プレーン)は概略の清掃で使用できる。
・ナンガルハル州の州都ジャララバードを制圧(11月14日)、タリバン軍の撤収に呼応して蜂起した地元の反タリバン勢力が同市を手中にし、イスラム党ハリス派の指導者ユヌス・ハリス氏(パシュトウン人)をリーダーとする暫定統治機構を設立した)

・10日〜14日にかけてカブールおよびジャララバードおよびヘラートからカンダハルに転進移動するタリバン軍に対すAC-130Uおよびアッパチ攻 撃へりによる地上攻撃を反復攻撃および洞窟陣地に対する時限信管鉄鋼貫徹爆弾による攻撃を激化。


・南部のタリバンの本拠地カンダハルの攻撃

      
米国特殊部隊の増派投入、諜報、宣撫工作、投降呼び掛けの強化。 タリバン反対勢力(パシュトウン人)の結集、幇助。11月14日からタリバン軍は逐次周辺地域の山岳洞窟陣地への戦術移動(実態は背走か)を開始した。
     

・11月13日から16日の米軍の砲爆撃でアルカイーダのNo.2の位置にあるムハマンド・アーテフ軍事委員会委員長が複数の幹部達と共に爆死した との情報がある。 戦局は一気に激変する可能性が生じた。

・11月17日、反タリバン勢力のイスマイル・カーン司令官(パシュトウン人)の部隊がカンダハルに向う。

 戦闘の局面は大きく進展、変容した

 11月15日、イスラムのラマダン(断食月)に入る(約1ヶ月間)、 戦場の兵士は断食を免責される
     
 

 ・11月17日、 北部同盟ブルハヌディン・ラベン(タジク人勢力の指導者、国連におけるアフガン大統領としての代表権を持つ)が北部同盟各勢            力の代表者を伴い首都カブールに帰還した。(1996年以来5年ぶり)
      
 ・11月15日以来、米英軍は特殊部隊を増員してビンラディンおよびアルカイーダの幹部約20名の捜索、探索に重点を指向した。
  
 
  米英軍は
引き続きその他の主用軍事拠点およびアル・カーイダの拠点を掃討 



参考:洞窟陣地の強靭性について

 

第二次大戦の天王山「硫黄島の攻防戦」の事例 
 
  硫黄島で本格的な洞窟陣地の構築が開始されたのは米軍侵攻の約一年前である。硫黄の噴出と高い地熱のため陣地の構築は困難を極め、山腹深く遂道を切り開くことができなかった。 アフガンにおいて20数年にわたって構築・補強し、しかも融雪水の通路「カレーズ」が地下に縦横に流れる堅固な洞窟とは比較しようもないが、それでも一ケ月以上にわたって連日の空爆と艦砲射撃に耐え、殆どの兵力を温存している。 蛸壺陣地や洞窟陣地における大地の衝撃緩衝能力は在来兵器の直撃弾を受けない限りは頑丈であった。
    
  米軍は総兵力61.000人、戦艦15隻、巡洋艦20隻を含む大艦隊を擁し、航空機1.700機を投入した。日本軍は兵力20.933人、航空機100機(侵攻直後に壊滅)で応戦した。 2月19日の米軍の地上戦闘攻撃開始に対して日本軍は洞窟陣地から最新兵器の推進砲(ロケット砲)の一斉射撃を含め、小部隊の勇敢な攻撃を反復し、米軍に多大の損害を与えたが、衆寡敵せず、 3月25日、残存兵力400名で最後の突撃を行ない玉砕した。 米軍は事後、数十ケ所の洞窟を火焔放射器で一つ一つ焼き払いながらなお洞窟に潜む日本軍を掃討した。これに数ケ月を要している。
 経緯
 2月16日、米軍砲爆撃開始
 2月19日、米軍上陸
 2月23日、日本軍陸海軍将兵1.700名が守備する擂鉢山が米軍に包囲され、壮絶な戦闘の後に山頂に星条旗が掲げられた。25名が包囲網を破って脱出し         本隊に合流。
 2月27日、日本軍は戦線を整理して持久戦に入る。
 3月4日、 残存兵力4.100名
 3月15日、残存兵力900名
 3月25日、総員400名で米軍野営陣地に最後の総攻撃を敢行、三時間の死闘の末、殆どが戦死、一部は洞窟陣地に撤収
          大本営は3月21日、1200、玉砕を発表
        (米軍の捕虜となった者は約100名、しかしこれら全員は重傷また爆風で失神後に米軍に救助されたので、投降兵は一名もなかった。)
 7月31日、海軍の魚雷艇が35名を特攻救出、なお40名前後が残置された。

 
 洞窟陣地の攻略はかくも困難なものがある。まして、20数年の年月をかけて増改築、補修を行なってきたジャラrバード南方約50kmの山岳地帯の
トラボラ(黒い砂塵の意味)の巨大洞窟はまさに地下要塞で2000人の兵士を収容できるという。この地下要塞は融雪水の地下水路(カレーズ)を利用した水利の便を備え、給水を始め、水力発電装置も整え、壕内は大広間を含め、各層に分かれ迷路が脱出口に通じているという。

 米軍はこれら戦史を十分に研究し、国際交戦規程で禁止されているガスの使用やダムダム弾の使用以外のあらゆる殺戮兵器を使用することになろう。岩盤を貫徹して洞窟内部で爆発するヴァンカー・バスター爆弾、気化作用で奥に潜む兵士を窒息死させるデイジー・カッター爆弾、熱風爆弾(サーッモー・バリック)で洞窟の奥まで熱風を吹き込み潜伏する兵士を焼灼させ、あるいは大音響で岩盤の崩壊を起こさせて洞窟の出入り口を封鎖するなど、タリバン軍を恐怖のどん底に追い込み、投降を勧告、奨励する策にでよう。 


  

 
・クラスター爆弾(集束爆弾)

  上空500m付近で数百個の子爆弾を放出し、それが地上10mで爆発し、それぞれ数十個 の対人弾が飛散し、爆風と弾丸で地上の目標をなぎ倒す。   恐るべきそして残酷な兵器では ある。
                              
    
 ・特殊大型(気化)爆弾 BLU-82 (デイジー・カッター) 
   長さ5m、直径1.5m、1.500ポンド(6.800Kg)の超大型爆弾、C-130H輸送機から高度1.800m で落下傘牽引投下。地上約10mで爆発、110×50mのクータ    ーができる程の威力を持つ。 (ベトナム戦争、湾岸戦争でも使用)、11月24日、カンダハル南方のタリバン軍に投下(三回目)
                                
 
・時限信管鉄鋼貫通爆弾(バンカー・バスターを用いて堅固な山岳洞窟陣地を攻撃
   
5) 国連主導によるアフガンの安定化

11月14日、国連安全保障理事会は加盟国に対して「タリバンの支配を脱した地域の治安を確保するための努力への支援を促す」との決議を満場一  致で採択した。 これにより米英特殊部隊が首都カブールで治安維持に当たることも可能で、多国籍部隊の展開の道を開いたと解釈される。決議はまた、暫 定政権樹立に向けた努力に「完全な支持」を表明した。   

 ・アフガニスタ国内全般の治安の維持
 ・アル・カーイダ・グループおよびタリバンのの捜索活動継続


3.. 
戦争の実態 
  

戦争は為政者にとっては外交の一手段であるが、戦場で戦う兵士にとっては戦争は狂気である。
   
例として、高度2000mからレーザ誘導爆弾を投下しようとした戦闘攻撃機の傍で75mmの高射 砲弾が炸裂したとする。 猛烈な爆風で機ががぶられる。ここで沈着な者と神経質な者に分れ、 後者は一刻も速くこの危険空域から離脱しようとする。そして目標を誤認し、敵の装甲車と傍に あった民間のトラックを間違えて発射の引金を引くことも起こり得る。戦争とはそういうものなの である。
    
 湾岸戦争で米軍は不明者7名、戦死者137名を出した、戦死者の半数は友軍による誤射と誤爆であった。

 ・タリバン側:・米軍との地上戦に備えて極力戦力の温存を図る(戦車、重火器等を洞窟陣地内に隠蔽)。
          ・市街地の民家の陰に隠した戦車、装甲車⇒一般家屋の被害を助長、宣伝に利用

          ・都市から避難、疎開しようとする市民を拘束⇒市民の被災を助長、宣伝に利用
          ・空家になった病院を軍の根拠地に使用⇒破壊されると病院を攻撃と宣伝
          ・空家になったモスク(イスラム寺院)を軍の根拠地に使用⇒同上
          ・米軍が空中投下した一般向け食料品パックを没収、軍が利用、一般には毒入りと 宣伝(実際に毒を注入して罹病した市民を宣伝に利用)
          ・その他
  
   

 ・米軍側:
 ・B‐52スーパーフォトレス戦略爆撃機による
「アークライト攻撃」(広域爆撃のコードネ ーム)1機の爆弾搭載量は満載                  の場合、500ポンド、750ポンド爆弾、合計108発、約30.5 トンを搭載。 三機編隊のV型基本編成で合計100トンを高度9500mから                 投下すると縦3 キロ、幅1キロの地域を完膚なきまで破壊し尽くす。地上で生き残れる者はない。
 
              B-52戦略爆撃機                         B2戦略爆撃機(ステルス)
  爆弾搭載量 約30トン                          全長5.5m、全幅16m、爆弾搭載量17トン航続距離9815km

                                          胴体、主翼材にスチロール・コアパルサー を使用     
   

                                   B1戦略爆撃機

                 
                             インド洋のディエゴガルシャワ基地を離陸するB1爆撃機

B-52の後継機(1986年配備)、レーダーに探知され難い機体構造、低空を高速で侵入する。 爆弾搭載量56トン巡航ミサイを空中発射する発射母機の  機能を有する。
        
・戦場の無人自動化システム
   湾岸戦争の反省から、各種センサー(話し声、足音に感知する音響センサー、体温を 感知する赤外線センサー、車両の振動や排気ガスに感知するセン   サー等)の性能向上 と実用化を図り、ボスニア、コソボ紛争で実戦使用してその信頼性を確証した。このよう なセンサーを多くの目標位置に設置または    散布する。(現在、山岳部に敷設中) さらに移動目標を探知する小型ドプラー対人/対戦車用レーダーで戦場を監視し、中継 装置で後方の伝送する。
    また前方監視員または監視装置が赤外線透視装置で敵の動きを察知し、自らの位置
を秘匿しながら後方の指令部に報告し、 戦闘攻撃機または砲撃   により撃破する。 このようなピンポイントの攻撃にはGPS誘導滑空爆弾J-DAM(滑空距離10km)や多連装ロケットなどを用いて遠方から攻撃する。


                           滑空式慣性誘導爆弾(ピンポイント目標に対して10km先から投下)
                              

        
  この無人自動化システムにより主として夜間の作戦行動がより有効となろう。


   
 ・11月22日、B-52 10機 出撃 洞窟陣地の攻撃を強化    
   

 夜間の空中降下による急襲、ヒット&ラン の続行 米軍特殊部隊、若干の損害を受ける(待ち伏せおよび頑強な抵抗により)      
  
 ・11月24日  反タリバン勢力のグラガ・シャラザイ元カンダハル州知事の部隊がカンダハル南東約10キロの空港を制圧。

 ・11月25日
 カンダハル郊外の空港に海兵隊1500人を投入、展開、南部に前進基地を設定
    
 ・11月25日 北部同盟軍(ドスタム将軍、アタモハマド将軍派の部隊) 25日にタリバンの北部の拠点クンドウズ市を制圧。タリバンの大半のアフガン人           兵士が投降、パキスタン人やアラブ人の外人義勇兵の一部が郊外の峡谷に逃亡
 
                 
 ・11月26日
 パキスタン国境近くの南部の要衝スピンブルダクからタリバン軍撤退開始、ザヒル元国王派勢力が交渉で同市の権限委譲に合意。 
 ・11月27日 タリバン軍はスピンブルダクから全面的に南東部の山岳に撤退。同日、南部の幹線道路沿いの町、タフタブからもタリバン軍撤退。
 
 ・11月27日 米海兵隊、高速ヘリAH‐1(コブラ)を多数機投入、低空攻撃を激化

 
 ・11月28日 マザリシャフ東方数キロに位置する捕虜収容所(19世紀に作られたカラジャンギ要塞跡で、タリバン軍が基地に使用していた場所)で投降し           たタリバン兵士(主にパキスタン人、アラブ人、チェチェン人の外人兵士)が勝手知った所内で暴動を起こし、米軍の爆撃と北部同盟のの鎮圧            で平定、600名の捕虜全員が死亡。 12月1日、捕虜の中で負傷者を含む生存者80名がいることが判明した。

 ・11月28日 カブール北方のバグラム基地に陸軍緊急展開部隊の出撃拠点を設置。 なたマザリシャリフ郊外にも出撃拠点を設置、陸軍第10山岳部         隊の一部(数十人)を展開
 
 これでアフガニスタン国内に展開する地上部隊は海兵隊員、特殊部隊隊員およびCIA要員を含めて2000人規模に達した。

 
 

・米軍は偵察衛星、盗聴衛星、無人偵察機、各種航空機を駆使し、地上に展開したこれらの緒部隊との連携を維持しながら次第に包囲の輪を狭めている。     
 
・12月3日 南部のパシュトウン人勢力の指導者ハミド・カルザイ司令官の部隊がカンダハル市郊外北西20キロや南方30キロの地点に進出、タリバン軍と         戦闘中。カンダハル南部に前進基地を設定した海兵隊は武装ヘリによる大々的攻撃を準備。
 


・アフガン新政権樹立に向けての政治協議始まる。

 
  ドイツのボンで11月26日、初会合

   アフガン四派から22名参加
       北部同盟 11(うち女性代表1)
       ザヒル・シャー元国王派 7(うち女性代表2)
       ペシャワル(パキスタン)のパシュトウン人代表 2
       キプロスを拠点とするアフガン人勢力代表 2 
  北部同盟は首都カブール占領の実績のもと、本会議をカブールで開催することを強く主張             
    
 国連主催のアフガニスタン主要四派政治協議(ボン会議)で暫定評議会の構成について次の案が提示された。
 
 
120の議席を
 ・ザヒル・シャー元国王派 50
 ・北部同盟          50
 ・残りはペルシャワのパシュトウン人のグループ(アフガニスタン・イスラム民族戦線(ギニラ党首)およびキプロスに拠点を置くアフガン人勢力(亡命ハザラ人   主体の一派、代表はジャリール氏))で二分する。
 ・暫定行政機構の評議会の議長にザビル・シャー元国王を据える(返り咲き意欲の強い元国王になんらかの名誉ある役職を与える)。
  
 北部同盟は明確な態度を表明せず、カブールで行なう第二回会議まで保留しようとした。その理由は北部同盟の代表団長カヌニ内相(民主化志向の革新派 のタジク人)とラバニ大統領(イスラム原理主義の守旧派のタジク人)との間の意志疎通が必ずしも円滑でないためである。

・12月3日
 暫定行政機構(29人で構成、議長1、副議長5、他23人)の人選を協議、  国連の斡旋
 この合意文書に四派代表が署名した時点で暫定行政機構が現ラバニ政権に代わって国連の代表権を得る。そして来春に予定される緊急ロヤ・ジルカ(国 民大会議)までアフガンを暫定統治する。

・12月4日 
 
アフガン四派、国連合意案に同意。暫定行政機構の議長(首相に相当)の人選と同機構の初会合(閣議に相当)の日取りの選定に入った。 議長には最大部族のパシュトウン人からとの国連や米国の意向で、アフガン南部の有力指導者ハミド・カルザイ氏の就任が有力。北部同盟側のカヌニ内相、アブドラ外相、ファヒム国防相の暫定行政機構への横滑り(入閣)が有力。この三人は暗殺されたマスード司令官(バンジールの獅子の側近で、軍事の専門家であると共に、イスラム原理主義的思想を排し、アフガンの民主化を志向する新世代のエリートでもある。暫定行政機構の初会合は12月22日(カブールで)を予定。 

(注)
ハミド・カルザイ氏は十八世紀半ば以降、五人のアフガン国王を輩出した名門ポパルザイ部族の長。最近まで米国で亡命生活を送り、米国政府と大きな繋がりがあるといわれる。北部同盟との間にも信頼関係がある。カンダハルの攻撃に参加中。

・12月5日 ドスタム将軍ら、不当な処遇に抗議。暫定行政機構への協力を拒否。(後日、一転して協力を誓う)

・12月7日
 タリバンの拠点カンダハルの接収にタリバンが同意。タリバンから支配権を委譲された地域評議会(シューラ)の代表ナキブラ氏とグルアガ元カンダハル州知事の部隊が対立(主導権争い)。
投降、武装解除に応ぜずに山岳部に逃亡するタリバンの残党(主に外人部隊)に対して米軍が掃討作戦を強化。 

・12月7日 
 米大統領 「アフガン政権崩壊」を宣言。
インド洋から帰港した空母「エンタープライズ」の艦上で「タリバン政権の完全消滅とアフガンの支配の終結」を公式に宣言した。 米軍はオサマ・ビンラビンおよびアルカイダの幹部およびこれをかくまったタリバンの最高指導者オマルの捜索、探査に重点を指向する。同時に洞窟陣地に対してあらゆる火器、爆弾を用いて攻撃を強化、続行中。

12月22日 アフガニスタン暫定行政機構発足 ラバニ前大統領からカルザイ議長に権力委譲
 カルザイ議長の就任演説「アフガンの国民は過去22年間、不幸を被ってきたが、今こそ平和をもたらすことができる」。中略 「国づくりに力を合わせていこう」
 ラバニ前大統領の演説「カルザイ氏はアフガニスタンの偉大な息子だ。彼に権力を譲ることを幸せに思う。復興に向けて協力していこう」

閣僚名簿

議長:ハミド・カルザイ(元国王派、パシュトウン人)

北部同盟 19人
外相:アブドラ・アブドラ(タジク人)
内相:ユヌス・カヌニ(同)
国防相:ムハンマド・ファフヒム 副議長(同)
通信相:アブドル・ラヒム(同)
労働・社会問題相:ミル・ワイス・サデク(同)
高等教育相:シャリフ・ファエズ(同)
地方開発相:アブドル・マリク・アンワル(同)
水利・電力相:シェーカ・カルガル 副議長(ウズベク人)
法務相:アブドル・ラヒム・ラズム(同)
鉱工業相:ムハンマド・アレム・ラズム(同)
巡礼相:ムハンマド・ハニフ・ハニフ・バルヒ(同)
計画担当相:ムハンマド・モハケック 副議長(ハザラ人)
運輸相:スルタン・ハミド・アンワリ(同)
農相:セイド・フセイン・アンワリ(同)
通商相:セイド・ムスタファ・カゼミ(同)
都市配発相:アブドル・カデール(パシュトウン人)
軽工業相:アレフ・ヌ0ルザイ(同)
殉教・戦傷者相:アブドラ・ワルダク(同)

元国王派 8人
航空・観光相:アブドル・レーマン(タジク人)
公共事業相:アブドル・ハリジュ・ファザル(同)
復興相:ムハンマド・アミン・ファルハング(同)
情報文化相:ラヒーン・マフドーム(同)
財務相:ヘダヤト・アミン・アルサラ 副議長(パシュトウン人)
教育相:アブドル・ラスール・アミン(同)
国境問題相:アマヌラ・ザトラン(同)
女性問題担当相:シマ・サマル 副議長(ハザラ人)女性

ペシャワル派 2人
保健相:ソハイラ・セディキ(パシュトウン人)女性
灌漑相:マンガル・フセイン(同)

 タリバン攻撃で戦功の大きかったウズベグ人勢力の軍閥を率いるドスタム将軍、北部を基盤にするハザラ人勢力の指導者のハリス氏および西部を基盤にするイスマイル・カーン司令官は閣僚に列せられなかった(しかし暫定政権への協力の意思は表明した)。


12月24日
 米第7艦隊の空母キテイホーク(8万1123屯)、母港横須賀に帰港
 ヘリ20機、特殊部隊600人を運び、15機の艦載機A/F-18で約100発の爆弾を投下した。




首謀者の捜索および残敵掃討作戦

 アルカイーダの首謀者ビンラディンの行方は杳として不明。潜伏、逃走、自殺説が入り混じる。
逃亡の場合、考えられることはトラボラ地区南西部のパキスタンの西部国境地帯はパキスタン政府の警察権の及ばない少数民族の居住区域「トライバル・エリア」(部族自治区、住民500万人)が有力。
死亡の場合はトラボラの洞窟陣地に対する米軍機の気化爆弾や熱風爆弾(サーもーバリック爆弾)などにより窒息死または爆死したほか、持病の肺疾患による病死も考えられ、いずれも場合も遺体の埋設個所の発見は不可能であろう。
潜伏の場合は、トラボラ地区のいずれかの洞窟にひそみ脱出の機をうかがい、春頃までかかる米軍の全洞窟捜索完了までの間に国外逃亡(インドのカシミール、イラン、ソマリア、スーダンなどへ)の行動を起こすこともあり得る。
 米軍および反タリバン勢力の部隊は捜索兵力を増強して洞窟を一つひとつ捜索するローラー作戦を展開している。

2002年元旦 アルカイーダの首謀、ウサマ・ビンラディンおよびタリバンの最高指導者、オマル師の捜索は依然として続いている。
 


閑話休題

 筆者はここで、アフガン攻撃の初頭に起こった前出の偶発的な事件
「オマル師を爆死させる機を逸した事件の事後調査を続けている軍の高級将校の言を想起する。彼は言う、C.I.A.の”無人偵察機(Predator)が発見したオマル師の隠れ家を直ちに攻撃しなっかったのは「慣行弊害」徴候、即ち、政治的適切性を重んじるばかりにシステムが徐々に機能しなくなってきていると見る(The failure to strike immediately as a symptom of ”a cultural issuue”-”a slow degradation of the system due to political correctness”。(例えば、特定の人物を殺せと命じた場合、その隣にいる人間まで殺せということではない。付随的、見返りの損害を与えることではない”と。 また一人の官僚もこれを政治的適切性よりもむしろ官僚主義の問題としてみている(The cultural problem ,rather than political correctness)。いずれにしても、”攻撃の失敗はラムズフェルド国防長官が”多くのガラス窓を蹴飛ばし、ドアを破れ”(’Kicking a lot of glass and breaking doors’)と言ったことに残る。しかし、結局、それで何かが変わることになるかどうかわからない”と。(”But in the end I don't know if it'll mean any changes” )  
    
             無人偵察機(Predator),Hellfaireミサイル2基


                                                                

 ペンタゴンの計画者はまた、爆撃したタリバンのキャンプの幾つかは空っぽだったことにも言及した。”実際、爆撃前の時点で、北部同盟の部隊が使用してないタリバンの多くのキャンプの中に移動していることも明かだった。北部同盟はその新たな前進場所について斬新な方法で米側の注意を喚起していた”。その方法とは”彼らは白いシーツで身を包で歩きまわった。そして遥か天空の偵察衛星に対して’Hey we're the good guys' と叫んでいた”と。

 しかし、もうここまで来たら、悠長なことはいってはおれないだろう。生死に関わりなくビン・ラディンとオマルの二人の身柄を確保するためには。
 
1月19日 米海兵隊がアフガン撤収、陸軍10空挺師団と交代。
 アフガニスタン南部のカンダハル空港の警備などに当たっていた米海兵隊が18日撤収し、アラビア海の強襲揚陸鑑バターンに引き揚げた。海兵隊基地は米陸軍101空挺師団に引き渡された。


2月5日
アフガニスタン、新国旗うを制定

 縦三条の一番左は災難の黒、真中は血を表す
、一番右は生命のを表す三色旗、中央のの宇宙模様も若干修正されている。
 首都カブールの大統領府に掲げられた。
 
    アフガニスタ大統領府
              → タタ

壁面に表す→の国旗はラバニ元大統領時代のもにで、黒、白 緑の横三条の三色旗。


・平成14年5月1日
 日本政府は、インド洋などで米軍の後方支援活動に従事している海上自衛隊の艦船の派遣期間を本年11月まで半年延長することに決めた。5月17日の安全保障会議と閣議で正式 に決定し、国会に報告する。(テロ対策特別措置法に基づく対テロ米軍支援基本計画で定められた派遣期間は13年11月20〜14年5月19日までであった。)

・6月6日、日本政府「は「テロ対策特別措置法」に基づき、護衛艦「せとぎり」(3550屯)および補給艦「はまな」(8150屯))および隊員340名のインド洋派遣を決定。8日出港。
      「はまな」のインド洋派遣は二回目(海上自衛隊は大型輸送艦は三隻しか保有していないので、それぞれ二回派遣されることになる)

・アフガニスタン「緊急ロヤ・ジルガ(国民大会議)開催。 6月10〜16日まで。
 アフガニスタン暫定行政機構(暫定政権)を引き継ぐ移行政権の枠組みを決定する。
 ザヒル・シャー元国王が開会宣言。代議員は各地からの代表、暫定政権の閣僚、難民代表および各州の知事ら50名を含む総員1551名。
  
 次期のリーダーを狙う目面は・カイザル議長、ザヒル・シャー元国王、ラバニ元大統領、サイド・アマハド・ゲイラニ党首(アフガニスタン・イスラム民族戦線の党首)たち。

 緊急ロヤ・ジルガの開催、一日延期。代表選出難航、手探り状態。選出手順の構造的欠陥を露呈。一部の地方では割拠する軍閥が武力で脅迫か。

6月19日、ロヤ・ジルカ閉幕。二年後の総選挙までのアフガン移行政権発足。カイザル氏、大統領に就任。難問は先送りに。「民族融和と軍閥解消が最大の課題」。「「治安の回復」、「経済の復興」、「教育制度の整備」等々、難問が山積している。大統領の手腕に疑問も。各勢力への「気配り」が不可欠。懸案のシューラ(評議会)の設置の問題は継続協議に。

6月22日、アフガン新閣僚決まる。(民族間のバランスに苦慮)
 28閣僚中、パシュトウン人は12名、タジク人は9名、少数派のハザラ人、ウズベク人は暫定政権時代と同数を確保。
大統領(国家元首):ハミド・カイザル(パ)。副大統領兼国防相:モハマドカセム・ファヒム(タ)。副大統領兼公共事業相:アブドル・カディル(パ)。大統領顧問(治安問題担当)兼教育相:ユヌス・カヌニ(タ)。外相:アブドラ・アブドラ(タ)。内相:タジモ・ハマド・ワルダアク(パ)。財務相:アシュラフ・ガニ(パ)。法相:アバス・カリミ(ウ)。計画相:モハマド・モハッケル(ハ)。通商祖:ムスタファ・カゼミ(ハ)。農相:フセイン・アンワリ(ハ)。国境問題相:モハマドアレフ・ヌルザイ(パ)。難民相:エナヤトラ・ナザリ(タ)。保健相:ソハイラ・セデッィク(タ)女性。鉱工業相:ジュウマモハマド・モハマディイ(パ)。軽工業相:モハマドアレム・ラズム(ウ)。通信相:マスム・スタネクザイ(パ)。情報・文化相:マフドウム・ラヒン(タ)。復興相:アミン・ファルハング(タ)。労働・社会問題相:ヌール・モハマド・カルキン(ト)。水利・電力相:シャケル・カルガル(ウ)。殉教・戦傷者相:アブドラ・ワルダク(パ)。高等境域相:シャリフ・ファエズ(タ)。運輸相:サイド・モハマド・アリ・ジャベド(不明)。住宅復興・都市開発相:ユスフ・パシュトウン(パ)。巡礼相:アミン・ナセリヤル(パ)。地方開発相:ハニフ・アsヅマール(パ)。灌漑相:アフマド・ユスフ・ヌリスタニ(パ)。航空・観光相:ミルワイス・サデク(タ)。

 今回の閣僚選出で一番の問題は、政治家としての実力が衆にぬきんでている(欧米筋)といわれる「北部同盟」出身のタジク人のユヌス・カヌニ(暫定政権の内相)の処遇であった。内相から教育相への降落人事に不満であったが、大統領顧問(治安問題担当)を兼務することで納得した。

7月6日、アフガン暫定政権のアブドル・カディール副大統領兼公共事業相が6日午後零時半頃、カブール中心部にある公共事業省前で二人組みに狙撃されて死亡した。車には30発以上の銃弾が撃ち込まれ、副大統領の護衛二人も死亡、犯人はそのまま逃走した。
 カディール副大統領はパシュトウン人、パキスタン東部のナンガルハル州など数州を支配する軍閥の一人で、前政権時も住宅復興、都市開発相と同州知事を兼務して重鎮。

                                        完了

 


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